2015年7月 8日 (水)

感謝のしるし

家庭の事情がもたらした環境の変化は母を直撃し

終の宿となるかも知れない療養先を探して2か月が過ぎた


主治医の働き掛けで

以前紹介された病院の療養型のベッドが空いたという情報に

その相談室を訪ねたが

説明受けたのはの 再度 胃瘻造設のことだった


家庭で介護できない看取りの高齢者が

落ち着ける場所を探して右往左往


身体を管でつなぎ

延命になるかどうかもわからない治療をしなければ

静かにその時を暮らす居場所すらなくなるという現状


自分で動くことも話すこともできないけれど

母には意識がある


身体のどんな状態が食を拒む原因となったのか

私にはわからないけれど

管で繋ぎ

生かすためのジュースを強制的に流し込むなど

母が望んでいないのは分かる


主治医の計らいではあったが 結局 再度お断りした


行先を失くした母は4カ月ぶりに一時帰宅した


一時的ではあったが

ヘルパーさんの手を借り 我が家に戻れた9日間が

本当に良かったと 母のために喜んだ


その後 ケアマネージャーの奔走で

受け入れを決めてくれた老人ホームに入所できた


やっと母の現状を受け入れてもらえる施設に巡り合えて

その中での暮らしを始めたところです


「○○さんの声 未だ一度も聞いてないんですよ」

と 黙ったまま問いかけに頷くだけの母に

「声が聞きたいな」と やさしく語りかけるスタッフ


母の笑顔のお返しが

そのうちきっと出てくる筈だと信じています


心穏やかな笑顔を見せてください

2015年6月21日 (日)

母の転居先は

母がやっと居場所を得て

落ち着きを取り戻したと思ったのもつかの間だった


母の看取りを覚悟し受け入れた施設でしたが

その不安解消の力になった母の主治医が

のちに法律関係(?)を調べたところ

施設認定の医師以外が往診という形で施設に入ることは

出来ないらしいとのことだった


詳しいことはわからないが

終末期を迎えた母が 居場所を2転3転 


帰る家をなくし 

長年親ししんだ施設にもいられなくなった


一時避難で

再び主治医が営む有料ケアハウスに入ったのです


ケアマネージャーを頼りに

看取られる最後の居場所を探して模索中


なんとしたことか。。。。。。。。。。。。。。。。


母は兄たち二人の父親だった夫を戦争で失った


年寄りを抱え家をを守るために働き

この時代としては普通のことだったが

終戦を迎えて戦地から戻った夫の弟と再婚したのです

(私と弟の二人の父親)


少しづつ農地を増やしながら 働いて働いて

小規模ながらもなんとか今日まで農家を続けてこられた


思春期を迎える私には

母に聞いてもらいたいことがいっぱいあった

だが なりふり構わず働く背中ばかりを見せる母に

年の離れた兄たちと弟の間で一人

反抗を強くしていった


今やっと母に正面から向き合えることに気がしている


母の背中ではなく 

正面から母の表情をとらえることが出来る気がして

語らなくなった母の顔から

その意志を読み取り笑顔を届けたと思っている


母が喜ぶ時間に少しでも立ち合いたいと思っている


食事は受け付けず ほとんど点滴のみ

肺炎を起こしつつある母は今

主治医の提案で次の療養先をあたっているところです

2015年6月14日 (日)

決断

施設に戻った母が

多少の落ち着きを取り戻して笑顔を見せるようになった頃

施設の方から再び連絡が入った


医師の往診を受け点滴はしているものの

肝心の食事をほとんど口にしない母に

施設側が危機感を持ってのことだった


なにしろ 母はショートステーの延長で

家庭の事情をくんでいただいての入所だったので

母の状態がもう看取りを覚悟するところまできていることを

心配していた


施設としては

これまでショートステーで看取りを行ったことが無い

そのため 

「最後はご家庭で看取っていただきたい」というお話になった


義姉の身体の回復を一番に考えたいその時に

それを言われることは

母のことを考えても義姉のことを考えても

(なんという間の悪さ)かと 残念に思えてならなかった


母を母の我が家にに連れて帰りたい思いはいっぱいだが

それを口にすることは 今の兄夫婦にとっては酷なこと


結局 最後は母の主治医が

施設側の「看取りで直面するすべての不安を解消する」

と言ってくださったために

今までにない看取りに踏み切っていただくことになりました


昨日 母はガラス越しに看護師が見守る看取りの部屋で

ひ孫の写真を見て笑っていた


娘として

母が望んでいた自宅に連れて帰ることが出来ないことは

残念なことだけれど

その分 少しでも多く母に笑顔を届けたいと思っている


高齢化社会のはざまで介護難民になりそうだった母

決断し手を差し伸べていただく多くの方々に 感謝です

2015年6月 4日 (木)

母の様子

介護していた義姉の入院から

母をショートステーの延長という形で施設にお願いして

2か月が過ぎた4月末

母は差し出されるスプーンに反応を示さなくなった

同時に母らしい表情も笑顔も消えていた


そのことで一旦施設を離れたものの

家族やケアマネージャーとの話し合いの結果

家庭の事情に配慮した施設側が

行き場を失った母を受け入れてくれることになった


母の主治医が 往診という形で

最低限の栄養補給をするため

時折 点滴をしてもらうことになったのだ


施設に戻った母は

物言うこともできず言葉にはならないけれど

落胆して 娘の私に怒りをぶつけた

(まだその元気があった)


言葉をかけてもあらぬ方向を見て顔を見ない

さらに声をかけ「こっちむいて」と体をゆすると

ぷいっ と顔をそむけた


気持ちは分かっている


母の気持ちを受け止め

穏やかに今の状況を受け止めてもらえるよう

その心に届けるのは

娘である自分の役目だと思った


施設に戻って2週間が過ぎ

今 点滴とほんの少し口にする食事で

生きるための栄養を補っている


それでも 時折笑顔も見せるようになって

穏やかさも取り戻しつつある

それがせめてもの救いになっている

2015年5月19日 (火)

命の灯

母を看てくれていた義姉が関節手術のため

これまで自宅とショートステーの半々だった介護を

義姉の回復が見込まれる間の7か月間

施設にお願いして 3月から過ごし始めていた


5月末 

その施設から

母が食事をとらなくなったため 

引き取って欲しい と連絡があった


そのため

母の主治医が営む有料ケアハウスで10日間を過ごし

その後 主治医の特段の計らいで他の病院を紹介されて

9日間だけ入院させてもらった


食事をとらないだけで

医療行為が必要な他の症状がなく

病院にもそれ以上の入院をお願いすることは出来なかった


母の終末を感じながら

母がどうしたいのかに思い至りながら

叶えてあげることが出来ないもどかしさ


さらに 病院では

これからの介護を考えて胃瘻造設をすれば

入院も施設への入所も可能だとの説明を受けた


95歳の母の心穏やかな幸せ考えた時

介護施設に入所させるための胃瘻造設で

その延命が母にとってどうなのか


私にはむごいことに思えた 


とてもその提案に賛成することは出来なかった


兄夫婦の苦労もわからなくはない

それを考えても それでも賛成することは出来なかった


幸い施設でも特段の配慮があって

とりあえず現状のまま

母を病院から施設への入所が出来るようになった


「様子を見ながら」との条件付きながら

家庭の事情に配慮していただいた


今日 母は施設に戻った


施設に通えるだけ通って

一瞬の母の笑顔を見逃すまい

2015年5月 4日 (月)

移ろい

桜の季節もあっという間に過ぎて

お花見もし損ねてしまったような気がしている


主人と二人なかよく行ってきたのに・・・ね


満喫できなかったせいでしょう

せっかちな主人と二人で歩いたんだもの


その主人が今日は久しぶりに釣りに出かけている


鬼のいぬま

時間がゆったりして はぁ~~~


気が付くと庭の主役たちも入れ替わっていた

002
007
011

スイセンもハナニラもヤマブキも咲き終わり


018

ハナズオウが真っ盛り


これから咲くみやこ忘れ


今年も甘酸っぱくほろ苦い思い出のあの曲

壊れたレコードが耳元で回り続けるだろうか?

001

亡きおじいちゃん(舅)が

雨の日には傘をさして守っていた見事な牡丹も

幹が枯れて小さくなったものの

脇から伸びた新芽に9個の花を咲かせている

006

004

009


季節の移ろいが早すぎる


そんな文句を言ってみても 世話ぁない か


母も施設にお願 いすることが難しくなっている

そんな母の笑顔には 

赤ちゃんの笑顔程のまた違う力があると思った


2015年4月16日 (木)

お元気ですか?

人一倍陽気で元気な義姉が

関節手術のために生まれて初めての入院をした


義姉にとっては昨年から感じ始めた違和感が

手術になるとは思ってもいない まさに青天の霹靂


兄にとっては考えもしなかった人生初の家事デビューとなった


兄は昔から男子厨房に入らずの人間でしたので

義姉も心配でしたが

インスタントラーメンのお湯さえ入れたことがない

家事オンチの兄も心配でした


座ったままで 新聞! 水! と 

家では 縦のものを横にもしない兄に

(この機会に自立してちょうだいね) と心の声が囁いた


義姉が入院して数日後

「ご飯の炊き方を教えてくれ」 と 兄から申し出があった


びっくりと同時に 兄の変化が可笑しくもあった

(いいね!)


リハビリに励み1か月

松葉杖での歩行が上達して 先日退院した


思いのほか元気に上手に生活できている義姉に

ホッと胸をなでおろした


とにかく無理は禁物なので

大事にして 健康を取り戻してほしい


反面で 衰えが目立つ母のことが心配になった


月半々のショートステーから

6か月間の施設暮しとなって

衰えと同時に

笑顔が消えてゆく母の様子に心が痛む


衰えは寝たきりの95歳だから

当然と言えば当然かも


それでもせめて笑顔が見たい 笑顔にしたい

その気持ちを伝えたい 


そんな心の焦りにも似た思いの 

今日この頃


★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・

054

開花から約2カ月も楽しませてくれているミニ胡蝶蘭

もう少し元気でいてちょうだいね

2015年4月 1日 (水)

今日は雨

今日は雨


このところの暖かさで 我が家の庭にも春が来た

031
032
052
040
046


つい先日まで霜柱の間から顔をのぞかせていた

スイセンもヒヤシンスも もうすぐ咲きそう


我が家の庭木や草花は立派なノラ

それでも

季節になれば季節の息吹を運んできてくれる

えらいね


今年も楽しませてくれそうです

058

そしてこの花は手塩にかけて育てられ

送る人の心を乗せて我が家にやって来た


綺麗ですね


定年退職後  社会福祉協議会の災害復興事業で

仮設団地の支援員をしてきた主人が

昨日3月31日 退職して同僚の方々から送られた花です


仮設見回り隊として働き始めてちょうど3年半


被災者の雇用の確保と

人口流出に歯止めををかけるため創められたという事業だが


定年退職者の主人も 仮設の見回りと見守りを続けながら

自分も元気を取り戻し イキイキと生活してこれた


仮設団地も事業が始まってから

支援員の活動も徐々に変化してきている 


この時期に復興にかかわることが出来

自分の中で一定の決着を見ての退職でしょう


ご苦労様でした


これから毎日がお休みになり

どう顔を付き合せていこうか

かぶも思案のしどころ かも?(笑)

2015年3月24日 (火)

営み

満開を迎えたと喜んでいたら

開花一番乗りした花がしぼみ始めた


約一か月 ホンワカ楽しませてくれた花が

役目を終えて 静かに萎んでゆく


自然の営み

005

今年の1月で満95歳を迎えた母


寝たきりになって8年が過ぎ

60キロを超える体重は 

寝返りも一人でできないようになったこの半年ほどで

急激に減少した


ふくよかだった母の顔が

見舞いにゆくたび小さくなる


寝たきりになっても食欲だけは旺盛で 

これまで元気でいてくれたけれど


すっかり衰えが目立って

花の終わりとつい重なった


人間も 自然の中で生かされている


言葉もままならず 笑顔も消えて 

ただじっと寝ているばかりの母を見ていると

少しでも穏やかでいて欲しい


声をかけると

察してくれているかのように 応えてくれる


チョットだけ見せてくれる笑顔に

心が落ち着いた

2015年3月11日 (水)

あの日

県内の復興のトップランナーだと聞いて

久しぶりに女川町にやってきた


まだまだ目に見える町としての形にはなっていないが

020
町づくりのデザインは出来ているという


「60以上は口出すな」 と

思い切って若者たちに町づくりを任せた英断は

見事に若者たちのやる気を引き出し

復興の力になっている という


まだまだ形には見えないけれど

若い力が生き生きと躍動する町は

きっと素晴らしい復興を遂げるに違いない


そんな期待を込めて 

嵩上げ地の間の谷間を縫うように車を走らせ

021_2

土埃を舞いあげてトラックが行き交う茶色一色の一帯が

どんな町に復活を遂げるのか まだ想像が出来ない


こちらは 石巻市立大川小学校

034

改めてここに立つと

どうしてこの山に逃げなかったのかという思いと

子どもたちと地域の住民と 

大勢の人がこの山に登って 避難するというのは

もしかして被災した後だから言えることなのかも

という思いとが交錯します

035

今日は2015年3月11日

あれから4年の月日が流れた


今日の寒さと雪は あの日を思い出させた


003_2

2015年3月 5日 (木)

覚悟

001

親しい人たちが二人も続けて外科手術を受けた


その一人が 

70半ばになる現在まで服用中の薬もなく

病院に行くのは たまに目薬をもらいに行くだけという

誰よりも「痛で痒い」の無い元気な人 Akiちゃん


彼女が入院 手術に至ったのは

朝のごみ出しがきっかけだった


融け残っていたスガ(氷)に足を滑らせひざを強打

半月板の損傷という怪我を負ったのだ


すぐにでも見舞いたいと思ったが

本人の申し出もあり 

術後の大変な時期を避けた


そして リハビリ転院が決まったのを機に

つい先日になってやっと彼女の病床を見舞った


怪我を負ってから1か月目のことです


素敵な旦那様が側で見守り

案外元気そうなAkiちゃんに ほっとしたけれど


手術当時の大変さは

傷の痛みだけではないものであったことが

ご夫婦の言葉の端端から感じ取れた


そりゃそうです

若ければ傷は日数で癒えてゆくけれど

年齢も重ねてくればいくら元気と言っても

怪我による衰えは倍増です


傷の痛みも

身体を支えるパワーにもご苦労があったろうし

脳裏をかすめる様々な不安に怯えたりもしたと思う


この経験はいらないと

Akiちゃんは二度口にしました


自身と重ねて今後の覚悟を問われるような 

そんな気がした


それから間をおかず 

かぶとはひとつ違いの義姉の股関節手術


こちらは手術日に病院に駆けつけたので

義姉の緊張も体調もまじかに見た


メスを入れることはどんな手術であっても

大変なことだと改めて感じました


義姉の肩に掛かっていた母の介護


二か月間は 母をショートステーにお願いしているが

術後半年くらいまで杖の手放せない義姉に

寝たきりの母の介護はとても無理


これから忙しくなるぞ~!

その覚悟も即座にしなくちゃね


そう・・・なにかとね 

覚悟は大切になってくるものです

009

2015年3月 2日 (月)

お返し

毎年作っている甘酒のお礼にと

002
手作りのかわいい巾着袋と

004
共布でできたティッシュペーパー入れをいただいた


細かい手作業の苦手なかぶにとっては

思いがけない嬉しいプレゼント


周1で通っている卓球で

お茶の時間に 自分で造った甘酒を持参したところ

思いのほかお仲間たちが喜んでくれた


こんな簡単なことで こんなに喜んでもらえるなんて

嬉しくて逆に感謝したい位です


運動もさることながら 

こんな些細なことでおしゃべりが広がり

交流できることが楽しいですね


.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。


我が家に満開の春 

016
花梅が満開


ミニ胡蝶蘭は一輪の開花から

10日以上たつというのにまだ1輪のまま

008

梅のスピード開花と違って長く楽しめる分

もどかしくもあるものですね

005

こちらはチョット残ねん!

5本の花茎に15個の花芽が付いたけれど

途中で変色が始まって あれよあれよと落ちてしまった


結局残ったのは3個のみ


うっ うっ うぇ~ん!(泣)

009

2015年2月24日 (火)

復興のつち音

穏やかな日差しに誘われて 

(フキノトウはまだかな?) 

と 当てもなく車で出かけてみた

003

震災被害が大きかった海沿いを 

久しぶりに走らせる (主人が)


復興4年目のつち音が聞こえてきた


そこに亡くなられた方の魂が共鳴して(?)

不思議な感覚が胸に響く

010
031

生きているものとして

日々の生活に埋もれさせてはいけない想いを

問いかけられているような気がした


渡波方面に向かう車窓には

震災で荒れ果てた跡地に新しい住宅店舗が建ち

しばらく遠のいていた沿岸部の変化に驚いた


その沿岸部からフキノトウを求め 山道をつらつら走らせた


収穫できそうなフキノトウは 姿さえ発見できず

すごすごと引き上げ


帰りは 6年前まで仕事で毎日往来していた魚町を通った

009_3
022_3

荒れた土地や建物は 新しい会社や工場に建て替えられ

活気が戻ってきている様子が見てとれた


それでも復興はまだまだ半ばこれからです

あと何年かかるでしょう


若い力に期待するだけで力にはなれないけれど

気持ちだけでも 念に力入れて応援します!


★゜・。。・゜゜・。。・゜


母を見舞い 帰り道

実家近くにある 蔵しっくパーク に立ち寄った

012
022_2
005
優しく華やいで お雛様って いいものです

祝えなかった子供の頃の憧れでした

2015年2月21日 (土)

春 来

今日も視線の先には ミニ胡蝶蘭

005
一昨日の開花はまだつぼみ


そして今朝 とうとう咲きました

023
綺麗だし なんとも言えないくらい可愛い

024
たった一輪の開花なのに 心の中には春の日差し


木に登らなかったし 踊らなかったけれど

満たされた感覚で 寿命が少しだけ伸びた気がする


今日は久しぶり

暖かく穏やかな い~ぃ日差しが降り注いでいる

春ですねぇ

2015年2月18日 (水)

綺麗に咲かせたい

悲しい出来事が起きたのは 1週間前のことでした 


2年前 ロッチと行った夢メッセの蘭展


その時に連れてきたデンドロビュームは

管理不足だったのでしょうね

昨年 バルブの下の方に 申し訳程度の花を咲かせた


そして今年 

咲き終わったバルブの上の方に

昨年は咲き損ねた とでもいわんばかりに

一個の花芽を膨らませました


新しいバルブの方には

今年 揃って花芽を出してくれる筈と 

楽しみにしていいたのですが

結果は 今年もまばらな花芽


それでも日に日に膨らむ蕾を楽しみに

水をかけすぎないように

控え目控え目。。。 

乾かし気味に  


と…  乾かしすぎたのでしょうか?

013_3

1週間前の朝 気が付くと

膨らんだ花芽は みずみずしい緑から黄色に変色

日に日に萎びていくではありませんか


ミニ胡蝶蘭と同じペースで水やりしていたのに

こちらの方は順調で

011_2

丸い蕾に割れ目が入り

花びらの形になりそうな蕾がひとつあります


室温は朝起きて時点で

5~6℃以下になっていることはないので

温度ではないとすると…


肥料 用土?

もっと勉強しましょう

綺麗に咲かせたい


そんな気持ちになりました

008

今年蘭展から連れてきた梅が

ピンクの花を咲かせました

色がやさししくかわいいですね


 

2015年2月10日 (火)

おかげさま

昨日の暖かさから一転

今朝の寒さと風の強さに身震いした


そして

まだ真っ暗な中 朝のお弁当作りに取り掛かる


主人と長男トマトのお弁当作りが続いている


今朝は

いつもより15分寝坊したが あわてず騒がず 

夢の中で考えたメニューに従い

残り物で手際よく


パパッと詰めて

(こりゃ 天才!) と自画自賛


画像は?っと… 

画像はありません


今日のお弁当は 

残り物のきんぴらごぼうとポテトサラダ

タッパにご飯を半分詰めて レトルト中華丼の袋添え


妻の愛です 

母の愛です

愛する夫と息子に告げる 

「今日もしっかり稼いできてね」 のサイン heart です


初めての試みで

我ながら グッドアイディアと自信満々だったが

帰宅したトマトの反応はいまひとつ 

満々は あえなく撃沈


次の手抜き作戦 考えねば!


   ↑


昨日のことになりました


昨日 

愛する二人に手抜きのお弁当を持たせて 

送り出した後のわたくしですが


なんということでしょう

友人と「松島冬ランチ」にお出かけ

005
006
007
008

ホテルでこんな美味しいもん いただきました


目の保養もして お喋りもたくさんして

ついでにのどと声の運動もさせてもらった


お陰様で いっぱい笑った

お陰様で ありがとう~~~!

2015年2月 3日 (火)

ブルーリボン

人間の命を道具にして

世界を恐怖で支配しようと企てているテロ集団が

その目的のために後藤健二さんを標的にし

殺害した


願いもむなしく 悲しい出来事になりました


戦後70年 

平和な日本に生まれ育ち

遠い国の戦争をどこかで対岸の火事ととらえていた


日本にいて戦争のない世界を願っても 

届くはずもないし そんな世界の状況でもない


そのことを思い知らされた今回の事件


ジャーナリストとして平和を願い

戦火の最前線に暮らす人々や子供たちの日常を

現場から発信し その戦火に散った人


ご家族の無念さを思うと 心が痛みます


人は常に戦い続けなければならないものと

改めて思った


.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。


今年も

21st「とうほく蘭展&バラとガーデンフェスタ2015」へ


仙台港そばにある会場 「夢メッセ」に向け

8時には家を出ていた


開場を過ぎてからの到着では

駐車場に入るまでがどんな苦労か

すでに分かっていたので

会場入り口付近に止めることが出来て安堵

001
それでもこの行列

003

あとは ただひたすら花を眺め

009
011
025_2

見事な咲かせっぷりに感心し

  (ブルーリボン  一席)

  (赤リボン     二席)

  (白リボン    三席)

028 029

042 044_2 

 
051 054 

 
055_2 058 

 
061 063  

078_2 077_2 


083_2 008_2 


腹が減ったら会場に出店された

海鮮弁当 だんご ラーメン かまぼこ

せんべい 漬物 おやき 等々

匂いを嗅いだり横目で見ながら


結局は混雑して座る所もない開場をあとにした


この日ゲットしたのは

狭い我が家には置くスペースのない

寒さに弱い蘭よりも と

002

梅の鉢を


そしてこの日のブルーリボンは やっぱり

004

これですよ!

2015年1月27日 (火)

育ってます


先日 誕生日だった姪へ 

お祝いのメールを送ったら返事がきた


小学生と中学生の娘二人の母となった姪は

40代に突入して2年目 すっかりおばさんだが

その分 母としての貫録も出てきた(体格も共に) 


家事をこなし仕事をこなし 

娘たちの一番の応援団長として

それぞれのバレーボールチームの試合がある度 

夫婦で追っかけを している


送迎やその他のサポートも大変らしいのですが

親として 今しか味わえない

充実した時間を過ごしている とのことでした


一緒に泣き笑いしながら

娘たちの成長と

親として子と共に育つ慶びを

今 感じているのだと思います


いよっ! 

頑張ってるね!

003
007

こちらも頑張って咲きます 咲きます!


胡蝶蘭はたとえミニでも温度管理が難しく

花を咲かせるなんて とっても無理ムリ 

と 思っていたのですが

もう 完全に咲きそうです


これだけつぼみが膨らんだら

咲くしかないでしょう!


初めてのことに 嬉しくて舞いあがっています


つぼみでこんなですからね 

咲いたら踊り出すかも (木に登る?)

(v^ー゜)ヤッタネ!!

2015年1月21日 (水)

おめでとう と…

今週に入って連日の仙台通い


まずは

主人の姪の子の1歳をお祝いして

ホテルでの誕生パーティーに御呼ばれ


普段着なれない服に

普段つけたこともない指輪をつけ

(山出しの牛蒡にリボンをつけたような?)

ホテルで会食 


その帰り足で主人の長姉からの一報をうけた


義姉の敷地内の別棟に住むご主人のお姉さんが

亡くなられたという知らせでした


86歳だったその方は生涯独身で

義姉の家を訪問した際 駐車場でお会いし

ご挨拶をすることはあったが

親しく話したことはなかった


お母さまが無くなられ

耳鼻科医師としての勤務を退かれてから

亡くなられるまでの約20年は 好きな書道に打ち込み

時たま別棟の義姉たちと交流しながら

一人の生活を楽しんでいらしたということでした


高齢の兄弟姉妹と身内だけの静かな葬儀でした


身内の葬儀に何度か立ち会ってきましたが

いづれも大勢の参列者の対応に追われて

自分が何をしているのかわからないまま

無我夢中で過ごした記憶がよみがえる


落ち着いて静かにお見送りが出来るこんな葬儀も

良いものだと思いました


...。oо○**○оo。...


話が前後しますが

そう お誕生パーティーのことです


親戚一同の中 

なにか立派なお式でも執り行われるのではないかと

想像していたが違った


ごくごく普通の家族の会食だった


なぜ そんな勘違いをしたかと言えば

親戚の方もいらっしゃるので「準正装で」お出でください

と言う姪の言葉でした


山出しの太った牛蒡が(かぶですよ)

めいっぱいのおしゃれをして(したつもり)

ロイヤルパークホテルのロビーをしゃなりしゃなり


あー 似合わない!


結局 双方のご両親3人と

(ご主人のお父様は他界されているので)

ご主人の姪2人の計10人(1歳の本人入って)の

うちわの会食だったのですね


あ~ぁ 勘違い勘違い


でも 主人とホテルで会食なんて

普段ではありえないので いい思い出になったかもね


誘ってくれてありがとう!


そしてhimeちゃんのお誕生日おめでとう!

家族3人 いつまでも仲良くね

2015年1月17日 (土)

笑顔でね

15日は 母の誕生日

最近元気がない母のことが 気がかりになっている


自宅とショートステーの半々というサイクルで1か月を過ごし

寝たきりになって8年が過ぎた


初めはそのサイクルがうまく機能して

ショートステーから帰っても元気にしてくれていた


でも 年々体力が落ちてきて 

最近 これまでの要介護4から5へと介護度がUPした


仕方のないことだと思っています 

なんたって95歳なのですから


でも 同時に笑顔も言葉も少なくなって

声をかけても意識はあるのに 

反応してくれない日が多くなった


どうにか笑顔が見たいと思って

孫やひ孫の写真を見せて話しかけるが いまひとつ


娘として

母の介護に十分に参加していない後ろめたさがあった

周一ペースでは 顔見せ位のもの

義姉とお茶を飲んで帰ってくるのがせきのやま


反応してくれない母に ある日聞いてみた

「もしかして 怒ってる?」

「もっと顔出せって 怒ってるの?」

すると 母が返事した

「うん」 と一言


(やっぱり!) 

そう思うと胸にチクリとその一言がつき刺さる


母に笑顔の最後を迎えさせてあげたい

そのために自分がどうしたらいい?

自分にできることを 悔いの無いようにと


父を送り

舅を送り

そして姑を送ってきた


親として最後のひとりの親

母が笑顔でいられるますように


0022_4


«どうしましょ?