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2011年3月の3件の記事

2011年3月10日 (木)

揺れは怖いが食べなくちゃ

昨日の昼前のことです

昼食のカレーを作っていました

ガステーブルの前で

ルーを入れたばかりの鍋をかき混ぜながら 

ボーッと立ってルーの溶け具合を見ていました


ゆらゆらとめまいがした

めまい?…違う 地震だ!

そう思ってガスの火を止めた時

さらに大きな揺れが来て

ブランコに揺られているような感覚が


これは大きい!

三陸沖地震?

家 大丈夫?

とにかく 身の安全の確保が優先 と

とりあえず 玄関迄行って戸を開けました


玄関の柱につかまり庭を見ると

オッコもヒイラギも 

木々がゆったりと大きく揺れている

まるで大地が丸ごと

遊園地の乗り物に乗って揺れているようです


そしてその後

何度も何度もやってくる余震が

恐怖を掻き立てました


震源は牡鹿半島の東160キロと

沿岸からは遠くて

予想されている宮城県沖地震ではないとのことです

ってことは 

もっと大きな宮城県沖地震が力をためている

想像するだけで こわ~~~っ! Σ( ̄ロ ̄lll)


ブロック塀とビルの倒壊を目の当たりにした

78年宮城県沖地震

あの恐怖がよみがえります


自然の大きなパワーに

脅威を感じました





でも 

はぁ~~~っ!

まだ来ない地震に怯えていてもしゃぁ~ないか

腹が減っては戦は出来ない

食べなくちゃね

カレーライス 美味しかったー!

 

2011年3月 8日 (火)

オババが退散

行きつ戻りつ寒暖を繰り返し

春がきた

戻った寒さは

暖かさを知った後の身には堪えるが

光の中に春は満載

眠っていた感覚が目覚めていく

季節のリズムを感じながら

目覚めていく


先日 

久しぶりにバレー仲間のお茶コールがあって

「ココス」に集合し

オババ5人がおしゃべりに興じて

太った痩せたと 互いを愛で 

他愛もなく笑いあった


冬眠中だったバレーボール再開の合図に

体育館の当番表カレンダーを作ったり

顔合わせの日程を決めたり

連絡したりと

ボケてばかりもいられなくなりました


今年は

バレー協会主催の試合が

4月から12月までに 7試合ある


チームで最高齢の

今年70歳になるメンバーのAkiちゃんが

「もう 億劫になったよ」 と

メンバーから降りると宣言

それを全員で却下して

強引にメンバー入りを決めました


体が多少動かなくとも

歩けるうちは体育館へ

これがオババ達の合言葉です


今年も 姑世代のおばさん達と

その嫁世代の二世代で 

親子バレーを  楽しむぞ!

チーム一丸となって 楽しむぞ!


そんな決意を確認しました

そして 16日に改めて

メンバーの「顔合わせ」会をすることを決めました


★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

平日の「ココス」は

席に多少の余裕はありましたが

テーブルの上を片付けられてしまったので

「帰れってことか」 と受け止め

そこまで粘った自分らが可笑しくもあり

賑やかに退散したのです

 

 

2011年3月 1日 (火)

おじの事故

義父は福島県の出身です

貧しい農家の長男で

兄弟が10人…

だと聞いておりますが

定かではありません


その中で私が知る義父の兄弟は 7人で

うち健在なのは 弟2人と妹1人

いずれも80~90歳になろうという方々です


先日 

健在の3人のうち一番下の弟で

義父とは親子ほど歳が離れている

そして驚くほど義父そっくりのおじから

電話がありました


この時期におじからの電話

ということで 

(もしかしたら?)

の疑問符が頭をよぎるのです

なにしろ 全員が高齢になっていますから


案の定 

義父の3番目の弟が危篤との連絡でした

病気なのではありません


昨年の12月の末 電話で話したときには

車で孫を送迎しているので

免許を返すわけには行かないと

鼻息荒く 元気に話していたおじでした


病気でないとすると 

(交通事故?)

すぐにそう思いました


強ち間違った推測でもありませんでしたが

考えていた交通事故ではなかった


90歳まで元気で長生きだったおじが

道端を歩いていただけなのです

地区の寄り合いがあり 

自宅から100㍍ほどの集会所から出て

まもなくの事故でした 

ブレーキをかけた跡も無く

後ろから突き飛ばされたのです

車は炎上 おじは無残な状態で病院に運ばれました


連絡を受けて福島まで車を走らせた私達は

病院で 何ともいえないような 

おじと対面をしたのです


おじだと確認できないほど 頭も顔も腫れ上がり

正視できないほどの変わり様でした

ここまで元気で長生きしてきたのに

何故?

言葉になったのは それだけです


脳挫傷で意識不明

複雑骨折した足は 

脳内出血の治療を優先するため

治療すら出来ない状態です

長くなれば 切断になるという足

たとえ安定したとしても

植物状態になるのは必至とのことでした


現在

強靭な生命力で 戦いつづけていますが

意識は戻っていません

事故から

1週間が過ぎています

家族はこの1週間を

どんな思いで過ごしたでしょう?


暴走車によって奪われたおじと家族の

平穏な時間は どうなるのでしょうか?


岩手に嫁いでいて

事故で駆けつけた主人の従兄妹の眼にも

残念な思いが滲んでいます

駆けつけた誰もが 同じで

亡くなるまで 故郷を恋し

兄弟を思った義父も 

同じ思いでいることでしょう


家族の戦いの時間は続いています

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