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2015年1月の6件の記事

2015年1月27日 (火)

育ってます


先日 誕生日だった姪へ 

お祝いのメールを送ったら返事がきた


小学生と中学生の娘二人の母となった姪は

40代に突入して2年目 すっかりおばさんだが

その分 母としての貫録も出てきた(体格も共に) 


家事をこなし仕事をこなし 

娘たちの一番の応援団長として

それぞれのバレーボールチームの試合がある度 

夫婦で追っかけを している


送迎やその他のサポートも大変らしいのですが

親として 今しか味わえない

充実した時間を過ごしている とのことでした


一緒に泣き笑いしながら

娘たちの成長と

親として子と共に育つ慶びを

今 感じているのだと思います


いよっ! 

頑張ってるね!

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こちらも頑張って咲きます 咲きます!


胡蝶蘭はたとえミニでも温度管理が難しく

花を咲かせるなんて とっても無理ムリ 

と 思っていたのですが

もう 完全に咲きそうです


これだけつぼみが膨らんだら

咲くしかないでしょう!


初めてのことに 嬉しくて舞いあがっています


つぼみでこんなですからね 

咲いたら踊り出すかも (木に登る?)

(v^ー゜)ヤッタネ!!

2015年1月21日 (水)

おめでとう と…

今週に入って連日の仙台通い


まずは

主人の姪の子の1歳をお祝いして

ホテルでの誕生パーティーに御呼ばれ


普段着なれない服に

普段つけたこともない指輪をつけ

(山出しの牛蒡にリボンをつけたような?)

ホテルで会食 


その帰り足で主人の長姉からの一報をうけた


義姉の敷地内の別棟に住むご主人のお姉さんが

亡くなられたという知らせでした


86歳だったその方は生涯独身で

義姉の家を訪問した際 駐車場でお会いし

ご挨拶をすることはあったが

親しく話したことはなかった


お母さまが無くなられ

耳鼻科医師としての勤務を退かれてから

亡くなられるまでの約20年は 好きな書道に打ち込み

時たま別棟の義姉たちと交流しながら

一人の生活を楽しんでいらしたということでした


高齢の兄弟姉妹と身内だけの静かな葬儀でした


身内の葬儀に何度か立ち会ってきましたが

いづれも大勢の参列者の対応に追われて

自分が何をしているのかわからないまま

無我夢中で過ごした記憶がよみがえる


落ち着いて静かにお見送りが出来るこんな葬儀も

良いものだと思いました


...。oо○**○оo。...


話が前後しますが

そう お誕生パーティーのことです


親戚一同の中 

なにか立派なお式でも執り行われるのではないかと

想像していたが違った


ごくごく普通の家族の会食だった


なぜ そんな勘違いをしたかと言えば

親戚の方もいらっしゃるので「準正装で」お出でください

と言う姪の言葉でした


山出しの太った牛蒡が(かぶですよ)

めいっぱいのおしゃれをして(したつもり)

ロイヤルパークホテルのロビーをしゃなりしゃなり


あー 似合わない!


結局 双方のご両親3人と

(ご主人のお父様は他界されているので)

ご主人の姪2人の計10人(1歳の本人入って)の

うちわの会食だったのですね


あ~ぁ 勘違い勘違い


でも 主人とホテルで会食なんて

普段ではありえないので いい思い出になったかもね


誘ってくれてありがとう!


そしてhimeちゃんのお誕生日おめでとう!

家族3人 いつまでも仲良くね

2015年1月17日 (土)

笑顔でね

15日は 母の誕生日

最近元気がない母のことが 気がかりになっている


自宅とショートステーの半々というサイクルで1か月を過ごし

寝たきりになって8年が過ぎた


初めはそのサイクルがうまく機能して

ショートステーから帰っても元気にしてくれていた


でも 年々体力が落ちてきて 

最近 これまでの要介護4から5へと介護度がUPした


仕方のないことだと思っています 

なんたって95歳なのですから


でも 同時に笑顔も言葉も少なくなって

声をかけても意識はあるのに 

反応してくれない日が多くなった


どうにか笑顔が見たいと思って

孫やひ孫の写真を見せて話しかけるが いまひとつ


娘として

母の介護に十分に参加していない後ろめたさがあった

周一ペースでは 顔見せ位のもの

義姉とお茶を飲んで帰ってくるのがせきのやま


反応してくれない母に ある日聞いてみた

「もしかして 怒ってる?」

「もっと顔出せって 怒ってるの?」

すると 母が返事した

「うん」 と一言


(やっぱり!) 

そう思うと胸にチクリとその一言がつき刺さる


母に笑顔の最後を迎えさせてあげたい

そのために自分がどうしたらいい?

自分にできることを 悔いの無いようにと


父を送り

舅を送り

そして姑を送ってきた


親として最後のひとりの親

母が笑顔でいられるますように


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2015年1月12日 (月)

どうしましょ?

毎年1月 お寺からお札とカレンダーが郵送されてくる


その中にご祝儀封筒が同封してあり

封筒の増加に用途が追い付かず

年々 封筒が引き出しの中を占領し始めていた


先日も

お寺から新年のご挨拶にといつもの封筒が届き

増えすぎた封筒を整理していた


その作業の中で 表書きのある封筒を見つけた

それには一緒に手紙が添えてあり

見た所 4年前結婚した主人の甥の結婚を祝う内容でした


(コリャ何じゃ?)


書いた記憶はあるようないような

手紙は確かに自分の字だし

読み返していると微かな記憶も湧いてきた


義姉の子は東京で暮らしている

結婚に当たっては本人たち二人の意向で

海外のチャペルで二人だけの式を挙げるということでした


そのため お祝いを義姉あてに送った記憶はあった

でも なんで手紙がここに残っているのかが記憶にない


はて?


一緒になっていた表書きのご祝儀封筒を透かして見た


ん? 中封筒にないやら厚みを感じる

もしかして中身入ってんじゃ~ないの?


妙な期待と恐怖心とが入り混じった感覚で

中封筒を取り出して確認してみた


え~~~っ! ピン札が〇枚そのまま入っている???

なにこれ?


確かに結婚祝いのお返しは若い二人から送られてきた

(もしかして 空の封筒を送ったのではないか?)

恐ろしい考えが湧いてきた


4年も前のことです


その間には子供も生まれたりもしているし

何度か顔も合わせている

もし想像した様な事をしでかしていたのだとしたら


考えただけでも 恐ろしいことです


義姉に確認してみなくてはと思っていますが

何と言って聞けばばいいのか 


ねぇ… これって どうしまっひょ!

2015年1月 7日 (水)

成長を祝う

「娘の1歳のお誕生祝いをするので出席をお願いします」 と

主人の姪から電話があった


ご本人は 

先日ブログに内緒で画像UPした笑顔の天使 himeちゃん

つい先日生まれたばかりと思っていたら 

もう1歳になったんですねぇ


聞けば 会場はホテルとのこと

久しぶりの晴れやかなホテルのパーティーに 

(オッー) と ちょっと困惑


主人は一男五女 下から2番目の長男

我が家の息子たちが幼い頃は

たまたま居合わせた姉妹家族や

家族がささやかなお誕生会をすることはあったが

改めて席を設けてお祝いするということはなかった


姪の話で 

今回は 旦那様のご家族・ご親戚も出席されてということ


さらに ご家族は着物でのご出席で

想像すると かなり晴れやかなお食事会らしい 


そんなお誕生会には 出席したことも無かったので

「準正装」と言われて チョット気おくれ気味


テレビでは 子供の成長を祝って 親戚・隣近所までご招待して

盛大にお祝いする風習の地域があることは知っていましたが

(まさか姪がねぇ) と驚いています


義姉の一人娘が 他家に嫁いで子の親となり

宝物を得て 親としての自分も磨かれていく 

その過程に立ち会って 一緒に喜んであげられたら

(それでいいよね) と一人納得した


(何着て行こう?)で戸惑ったのは 吹き飛んだ


何でもいいよね 

おめでとう! の気持ちだけで


...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

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見て!


ミニ胡蝶蘭がしっかりと順調に蕾を膨らませている

こちらも親の気分で 有頂天


昨年は蕾のままで萎んでしまったけれど

今年はきっと咲いてくれる 

ホントに咲く勢いで 力強く伸びている


これはもう間違いない

しっかり咲いてちょうだいね!

2015年1月 4日 (日)

このお賽銭で?

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします


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家族で日和山の鹿島神児神社へお参りに行き

今年の家内安全と無病息災・厄除け祈願

それから・・・


お願いすることが山ほどあって

お賽銭の増額を考えて家を出たものの

並ぶ間に 500円にしようか50円にしようかと迷った挙句

順番が来たときには 50円に傾いてしまっていた


社殿に我流の二礼二拍一礼をして

思いつく祈願を考えたが

さすがに神様も このお賽銭で

それだけの願い事を並べられても困るだろう と

結局 家内安全だけをお願いした

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ここは震災で眼下に何もなくなってしまった街が見える場所

犠牲になられた方のご冥福を祈る場所にもなっている


もうすぐ3年と10か月になります


時計が止まってしまっているご家族は

ここにもそして福島にも たくさんいらっしゃる


止まってしまった時計が時を刻んで 

小さな一歩が踏み出せますよう      祈願

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